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私の海外留学・海外就職体験を愉しむコツ (回答者:Lemon先生)


英語講師歴12年のLemon先生は、アメリカの「シカゴ」での学生生活、社会人経験を経て日本に帰国。14年のアメリカ生活で培われた綺麗な発音指導やビジネス英語、英検対策講座、旅行英会話など、バラエティに富んだ英語レッスンを提供されています。今回は、Lemon先生に「海外留学・海外就職体験を愉しむコツ」についてインタビューさせていただきました。

さっそくですが、「海外留学・旅行体験」についてLemon先生のお話をお聞かせください

■英語との出会い

幼少時代に出会ったスイス人一家との出会いが、英語に興味を持ち始めた切掛けでした。
私(先生)は、茅ケ崎の小さな山の中にある小さな一軒家に家族と暮らしていました。
4歳の時、ある日突然、隣の広大な土地に大きなユニークな形をした大きな家が建ち始め、そこにスイス人の父親と日本人の母親をもつ子供5人の大家族が引っ越して来たのです。 びっくり仰天しました。

しかし、彼らが引っ越して来た直後から、一家の子供達と年齢が近かったので、自然と互いの家を行き来する家族ぐるみの交流が始まりました。<桃の節句>には雛壇を飾り、ちらし寿司で祝ったり、5月の<子供の日>には、広大な山の敷地に大きな鯉のぼりを泳がせ、スイス人一家と一緒に餅つきをしたりしました。 又、春のイースター(キリスト復活祭)やクリスマス(降誕祭)には、スイス人一家に招かれて、クリスマス・プレゼント交換をしたり、豪華な食卓を囲んだりと異文化に触れる刺激や愉しさに溢れた幼少期でした。

最初の数年間、 子供同士のコミュニケーションは日本語交じりの感覚的な単語のやり取りで事足りましたが、彼らが其々に都内のインタナショナルスクールに通い始めた頃から、週末ごとに世界各国のクラスメート達が遊びに来るようになりました。家の中はインターナショナルな雰囲気が漂い始め、それを機に、ますます、自由自在に英語を話せるようになりたい!海外に留学したい!という想いが強くなってきました。

■二十歳で留学を実現

紆余曲折ありましたが、両親からやっと賛同を得て、20歳の時、アメリカ三大都市の一つである
<風の街(Windy City)シカゴ>に留学が実現しました。シカゴが風の街と呼ばれる由来は所説あり、ミシガン湖から吹き付けるビル風が強いからという説と、全米各地から風に乗って流れ者がやって来る街だからという説があるそうです。留学に憧れた幼少期から長い年月を経て、私の人生の新たな一歩が、ミシガン湖が広がり、高層ビルが聳え立つ<風の街シカゴ>で始まりました。

留学して最初の一年間は、色んな意味で大変な時期でした。
見知らぬ国の習慣や言葉の壁に戸惑い、時々ホームシックになりながらも、世界各国から集まったクラスメート達と机を並べ、厳しい英語集中過程(大学本過程前の必須クラス)に日々追い付いて行くことに必死でした。

一方で、日本人留学生の全面的なケアをしてくれていた温厚な老婦人Dr. ジムリング(教授)や同じ寮生活を共にしていたアメリカ各地から集まった多くの友人から様々な事を学び、多方面で支えて貰ったことは学生時代の良き思い出です。

特に、親切にしてくれたのが寮の同じ階に住む心理学専攻の大学院生、ゲイのDennisです。彼は、同性(男性)に興味があっても、女性の私に全く興味がないので付き合いが楽でした。 彼は、私の苦手な英作文の宿題を度々、丁寧に添削してくれました。又11月の感謝祭には、彼の両親の家に招かれ大きな七面鳥をご馳走になったり、ゲイ・コミュニティーのイベントやAIDS団体の集いに誘われ、ゲイやエイズに対する理解を深める機会を与えてくれました。

泣いたり笑ったりしながらも何とか無事に約1年半の厳しい英語集中専門過程終了し、正式に大学過程に入学後、最初の2年間のアカデミック・コース(教養課程)を経て、後半2年間で経済学部を修め、約6年の月日をかけて無事に大学を卒業することができました。

大学の卒業式では、アメリカ映画でよく見る黒の長いガウンを着て、四角い帽子を被り(卒業式スタイルの総称:Academic dress)、ステージの上で学長から手渡された卒業証書の重みは格別でした。

■卒業後の進路

私が卒業した1990年代の半ばは、日本は景気停滞しており、就職が難しい時期でした。卒業後の進路に悩んでいた時、運よく1年の研修ビザ(プラクティカル・トレーニング・ビザ)を取得。 「これはチャンス!」と思い、アメリカで就職することに決めました。

就職活動を始めて直ぐに、偶々シカゴの地元新聞の求人広告欄で、日本人女性起業家による[人材募集記事]を見つけ、即、面接に行き、労働許可証(H1-B VISA)のビザ・サポートの条件付きで、入社がすんなりと決まりました。この女性実業家の下で働くことを決めた理由は、「いつか私も実業家になる!」と大きな夢があったからでした。

しかし、なんと入社10ヶ月後、その女社長が大きな取引先と大きなトラブルになり、会社が倒産の危機、そこから裁判になったのです。 それを機に、私の労働許可書ビザ・サポートの話はあっさり反故にされ、いきなり会社から放り出されました。それは、研修ビザが切れる僅か2か月半前の出来事でした。

学生を終え、米国社会で働くことが面白くなっていた矢先だったので、ここで諦めて帰国する意思はなく、残りの2か月半の間に何としても新しい仕事を見つけようと思っていた折、地元シカゴの友人からの紹介で、運よく大手船会社に入社が決まりました。
しかし、研修ビザが切れる直前でしたので、一旦、半年間ほど日本に一時帰国し、労働許可証の申請を待つことになりました。その半年間が、とても長く感じた事を今でもよく覚えています。
その後、無事に労働許可証が下り、様々な国の同僚と共に働けるようになった毎日は、言葉では言い表せぬほど刺激的でした。仕事のやり方や考え方の違いで戸惑いや衝突も生じましたが、それも含め、多国籍のアメリカ社会の一員として生活している充実感を得られた貴重な8年間でした。

卒業後のアメリカ滞在は8年(通算14年半)とのことですが、帰国された切掛けなどありますか?

就職して数年後に、大学時代に知り合った今の主人と結婚しました。仕事も慣れて増々面白くなってきた頃で、当分は米国生活を継続するつもりでした。そんな折、日本にいる主人の両親が立て続けに病に倒れたのです。 充実していた船会社の仕事も、家探しも、永住権の申請も全て投げうって、急遽帰国する事を決意したのが2005年の春でした。

14年間の米国生活を振り返ってみると、決して良い事ばかりではありませんでした。
人種差別されたりした事もありましたが、全ての経験が私を強くしてくれたと感謝しています。
14年間に培った様々な経験が、私の血となり肉となったことは間違いありません。
シカゴを発つ機内で、上空からシカゴの街を眺めながら【シカゴは私の第二の故郷】だと実感した時の記憶が今でも焼き付いています。

海外に出て日本を客観的に俯瞰してみると、日本は素晴らしい国だと知る事ができます。
<日本の治安の良さ><整備された街並みの美しさ>そして<日本食の奥深さと美味しさ>は別格です。 それに加え、日本人の思慮深さ、謙虚さ、礼儀正しさや忍耐強さ全てを一言で表現するならば、「Japan is a wonderful country.」です!
英語を学び、世界の広さや素晴らしさを感じながら、日本の良さも再認識できる。
英語を学ぶことの素晴らしさは、そこにあると思います。

■留学で英語を学ぶ効果的なコツ

先ず、同じ国の留学生同士でつるまない事です。
私は、意識的に日本人留学生だけでかたまらないように心掛けました。一旦、日本語で通じる環境に甘んじてしまうと、軌道修正することはとても大変です。ありがちな留学の失敗の原因は、それに尽きると思います。 

異国の地、留学先では辛い事や寂しさを感じることありますが、出来るだけ様々な国からきた留学生や現地のアメリカ人の友人と交流するように心掛けていました。

大学のカフェテリアでは、台湾人、香港人やアフリカ人の留学生達とよく一緒にランチをしました。
また、彼らのホームパーティーに誘われた際は、稲荷寿司や巻き寿司などの日本食を作って持参し、お礼に簡単な台湾・香港のお菓子やアフリカ料理を教えてもらう。そのような交流を通じて、自然に無理なく英語も上達しました。
英語を話す環境に飛び込んでいく、仲の良い友達をつくる、学校の勉強や宿題が大変ならネイティブに素直に打ち明け教えて貰うなど、自ら積極的に行動し、マイナスの状況をプラスに変える知恵を付けられたように思います。

私が寮生活で毎日続けていたことは、朝起きたら一番に、ラジオのスイッチをONにする事でした。 毎日の天気や交通情報、シカゴ市内のイベントなどローカル・ニュースを聞いていました。最初は全然、聞き取れず意味不明でしたが、約半年~一年経った頃から、段々とラジオからの情報がスーッと耳に入って来るようになったのです。 頭の中のもやもやした霧が徐々に晴れてきた感覚で、周囲の英語がストレスなく聞き取れるようになってきました。それと同時に、不思議と口から英語が意識せずに出るようにもなってきました。ラジオによって耳が英語に慣れ、発話力アップに繋がる事を実感しました。

『INPUT&OUTPUT』を【水=英語に触れる量】に例えると、バケツいっぱいになった水が溢れ出してきた感覚です。その頃から、とても英語を話すことが楽しくなってきたことを覚えています。
どこの国であれ、【郷に入っては郷に従え】という諺があるように、留学先でも旅先でもどんな環境でも、楽しむ心!面白がる心!を忘れない事が大事だと思います。

私は学生時代から好奇心のままにヨーロッパ圏やアジアなどの国々を旅し、様々な失敗やくじけそうな体験もしました。 これらの経験は、決してお金では買えないかけがえのない宝物だと思っています。

もし、皆さんが海外留学や海外旅行にご興味があるのであれば、身近なオンライン英会話を活用して、様々な経験談を持っている講師陣から体験談を聞いてみる事をお勧めします。
誰一人として楽に英語を習得したわけではなく、もっと上達したいという素晴らしい経験(モチベーションの源泉)を其々の講師が持っていることが分かるはずです。

先ずは、ご自身で海外への一歩踏み出してみて下さい。
そこから見える景色は、今まで人から見聞きしたことよりも、より素晴らしく、【一見は百聞にしかず】だと身をもって体験できるはずです。 
皆様を広い世界へ繋げるお手伝いが、少しでもできたら嬉しく思います。

Teacher Lemon

■事務局よりコメント
海外留学や旅行の実現を愉しみに日々学習に励まれている方は沢山いらっしゃるのではないでしょうか。アメリカ生活の長いLemon先生をはじめ、大人の英会話倶楽部、英語講師として活躍する先生方の多くは、海外での豊富な経験をお持ちで、皆さんの英語の世界を広げるサポートをしてくださいます。ぜひ、オンライン英会話を通じて、「学び」の機会を増やしてくださいね。
 
オンライン英会話[大人の英会話倶楽部]の日本人講師:
寛大で、強いハートを持つ Lemon先生のプロフィールはこちら↓
https://www.english-dialogclub.com/wte/prfdtlfrm/1813